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2008年 01月 27日
Coming out
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ふと気がついた・・・

このブログも今日で1周年。
我ながらよくぞ1年も持ったと思う。
が、正確に言うと途中が大部分抜けているのです。

今日はめでたくも1周年なので、その辺をぶっちゃけてみるとしますか・・・。
本当はこの日をを迎えられたら書こうと決めていた事なので、強制的にご覧に入れることになります。
とても文章が長くなり、更に支離滅裂が予想されますがお許しを・・・

じつは・・・
このブログを見に来てくれる方のほとんどが知っている(友人・知人が多数なので)と思うのですが
私は「癌」と言う病に冒されています。

そして、これは知る人は少ないと思いますが病期は(いわゆるガンのステージ)4期の肺ガンです。
そう。世間一般に言う「末期のガン」って言う奴です。
そんなにめずらしい病では無いのですが改めて書いてみます。
もし、同じ病気で悩んでいる方がいらっしゃればこういうパターンもあるんだよ。って感じで・・・。

今から7年ほど前
広告・宣伝物作成・施工の個人事業をを立ち上げ、順風満帆の風に吹かれながら、まさに我が世の春を謳っていました。
お客様に大変恵まれ、立ち上げ当初から想像を超える忙しさでした。
業務自体は独立前より慣れ親しんだモノでしたので何の問題もなくこなせたのですが、如何せん事務系がまるで駄目でして・・・
その時期には税理士さんに泣きついてお上に上納していたモンですw

4年前の年末近く、夏頃から引きずっていた風邪がなかなか抜けずに咳が多く出ていました。
同時に、これまで一度も経験したことがない肩こりというモノに苛まれ、咳き込みと併せて寝られない日が続きました。
肩こりというより、何かに握り掴まれるような痛みだったかも知れません。
流石に疲れが溜まったのだと思い、栄養剤やら、当時流行始めていたチタンバンを貼りまくったものでした。

今思えば、その類が功を奏してくれるはずもなく症状は悪化していきました。
右を向いて横になる事が不可能になった頃、不思議な物で「あぁ、これはきっとガンなんだな・・・」という自己診断が出来ていました。
丁度四十路に足を踏み入れる時期、ヘビースモーカー、暴飲暴食、寝不足の毎日、仕事や対人間関係に起因するストレス・・・etc
現代の人間なら誰しもが受ける程度の向かい風なのだ、と奮起しその後もその風を受け続けました。
が、流石に倒れましたw

近所の掛かり付けの医院に症状を伝えレントゲンを撮っていただきました。
出来上がったレントゲン写真には素人の私にも異常が判別できる影が胸部に・・・。
隠しようのない事実がそこには写っていて、医師も「こんな写真は初めて見ました」と驚いていたようです。
「取りあえず、ここへ出向いてCTを撮ってきて下さい!」と医師は地元の医師会へCT画像診断のオーダーを出してくれました。

後日、指示されたCT撮影を終え、画像診断の結果を聞きに掛かり付け医院へ。
当然、そちらでは対応できず大学病院への紹介状をいただきました。
受診日までの数日間、他の事は良く覚えていないのですが、ただがむしゃらに仕事をしていたことだけ覚えてます。
立つ鳥跡を濁さず・・・みたいな感覚がどこかにあったのでしょうか?w

大学病院で受診開始。
色々な検査の元、「右上葉部が原発性の肺門部リンパ節に転移した腺ガン、ステージ3bである」と言う診断を受けました。
非小細胞肺腺ガンという括りらしいです。

肩こりと思っていたのは、ガンが肺の中で肩の近くの筋肉を引っ張っていた痛みだったようです。(そりゃファイテンじゃ痛み取れないよねw)
咳き込みも、肺内で転移した肺門部のガンが引き起こしていたようです。(そりゃ栄養ドリンクじゃ治まらないよねw)

入院までのベットの空き待ちの間が辛かった。
やらなければいけない事が沢山あったはずなのですが、やはりがむしゃらに仕事ばかりしていました。
仕事が大好きな訳じゃ無いのですが、仕事の事ばかり考えていました。
今思えば、そこにしか逃げ込む道が無かったのでしょう・・・。

幸いな事に(笑)独身の私には重き事柄を伝える人が少なかったのですが、それが中々出来ません。
「ガン=死」の方程式は未だに崩れていませんので、年老いた両親へ伝える事が非常に辛かった。
親しい友人や知人、客先にはすんなりと、半ば笑いながら伝える事が出来たのに・・・。
何故だろう?
きっと帰ってくる言葉が予想できたからに違いないです。

「なんでお前なんだよ! なんで・・・」

この言葉を吐き出す瞬間の親父の顔、横で押し黙るお袋の呼吸のタイミングでさえ覚えている。
対して、済まない、申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。
多くを語れずに「大丈夫だから、きっと大丈夫だから心配すんなよ」と何の脈絡もない言葉を繰り返していました。

間もなくベットの空きを知らせる連絡。そのまま入院生活です。
予定では3ヶ月の抗ガン剤治療に併せて放射線治療。外科手術はステージ3bでは最初から適応外でした。
呼吸器の入院棟はほとんどの方が同じ病で戦っていますが、正直「えっ?」と驚くほど明るく笑い声さえ聞こえる病室に入院でした。
そこに絶望は無く、未来を信じる希望だけが溢れているようで・・・
戦友に出逢えたような、多分そんな力強い勇気に溢れた気持ちになっていたのでしょう。

しかし、気持ちだけで苦しい治療は耐えられず「激しい吐き気・虚脱感・下痢・脱毛.食欲不振etc」
ガン治療の副作用フルコースも毎週のように味わいました。
最初の内はお見舞いに来てくださる方に笑顔を振りまき、何ともないよ!と嘯いていましたが、そう言う弱いところを見せたくない気持ちから次第に人を遠ざける様になりました。
毎日のように見舞いに来てくれる友人にも「迷惑だから・・・」と伝えてしまったのもその頃でした。
申し訳ないと思いながら、ホッとしていたのも事実です。(今その友人とは疎遠です・・・仕方無しですね)

時間が過ぎるのを毎日ただひたすら待って過ごし、襲ってくる痛みを忘れるため集中できる物を探しました。
カメラ熱の復帰はその頃です。毎日のように雑誌で情報収集し悩んだ末、友人に頼んでD70を買ってきて貰いました。
それから楽しく弄り回して院内で撮りまくっていました。(タムロンの10倍ズームレンズでしたw)
「早く外に出て写真を撮りたい!」
そんな前向きな気持ちと合わせてか、幸いな事に私のガン細胞は放射線に感受性が高かったようで、経過が良好でした。
この調子なら予定通り3ヶ月で、ある程度の効果を得て退院できそうだと診断されました。

うれしい。

また、元の生活に戻る事が出来る・・・。そして写真を撮りに行けると・・・。
その事実だけが私を動かしてくれていました。

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予定の3ヶ月を乗り切り、退院。
友人や家人達の暖かい歓迎に感涙。
その後、やせ細った身体に体力を取り戻す作業から始まりました。
とくに決まったリハビリをするではなく、生活の中でリズムを取りながら少しずつ筋力アップしていきます。

写真撮影はそんな私に丁度良いリハビリになりました。
歩いては立ち止まり(疲れて)撮影。その繰り返しで良い訓練でしたからw
散歩代わりに出掛けたオープンセール中の秋葉原のヨドバシカメラのエレベータを下りる時に「モーゼの十戒」も体験できました。(EV待ちの人の波が私の目の前で割れていくんですよw)
髪の毛が抜け落ちた私の人相は、それはそれは○○○だったようで・・・。眉毛すら抜け落ちていましたから、避けて通るのは当然かw
(破格でD2Hsが買えたのもそのせいかな?そう言えば販売員の挙動不審は・・・w)

客先も「お帰り!」と身体に差し障りのない程度の仕事を回してくれました。
順調に半年が過ぎ、再び我が世の春が訪れかけたとき、不意に腹部に痛みと違和感が・・・
「副腎転移」でした。

肺ガンの転移で典型的な物が「頭(脳)部」・「骨部」・そして「副腎」への転移だそうです。
どうやら一般的なパターンに見事当て嵌まってしまったらしい・・・。
退院後から(現在に至る)3ヶ月に一度、MRI・CT・骨シンチと全身の検査をしています。
リンパ節の流れに乗るガン細胞の追跡のために・・・。
前回の画像には影も形もなかったのに、違和感を感じた後のCT画像には最大7cm大の影が映っていたのですから。
僅か3ヶ月で通常5mm程度に写るはずの副腎が70mmに・・・。 怖ろしいと改めて思った。

再び入院。
前回の抗ガン剤に耐性を持ったであろうガン細胞に対し、新しい別の抗ガン剤を投与。
そして引き続き感受性が高いと予想して放射線治療開始。
入院治療期間は同じく3ヶ月間で。

1ヶ月半が経過。
俺って凄い!というか私から分かれて自らの意識を持ったガン細胞は賢く、抗ガン剤に対しては学習してしまったらしく効果が出ない。
放射線に対しては僅かに感受性を残し、縮小には至らずも何とか成長を止めてくれている様子。
治療方針を変更する理由も見つからず、継続治療です。

放射線治療は被爆の関係で無限に照射出来るはず無く予定量の照射が終了。
ヘロヘロの身体がある程度安定するまで、化学療法の種を模索しながら残りの入院期間を過ごしました。
お世話なっている大学病院(特定機能病院)は3ヶ月以上、継続して入院する事が出来ないらしいのです。
法律で決められている事か何なのか知りませんが、入院を待っている方が大勢いらっしゃる事は事実ですから・・・
我が儘を言って留まるより、満足な結果が得られぬまま退院することにしました。
 ※この文章で「効果」と言う類の言葉は腫瘍の縮小を指しています

Coming out_c0107262_17313885.jpg退院後も抗ガン剤治療は薬を変え、効果を見ながら継続。
いわゆる通院抗ガン剤治療というパターンです。(患者からの強い要望で出来た施設らしい)
如何にガンで苦しんでいる人が多いかという事の裏付けだと思いますが、この名称は頂けないなと・・・
だって、「はいはい。わたくしガン患者様がそこへ入りますよ。通して下さ~い」って感じだもんねw
せめて「化学療法センター」とかさ・・・。もう少しオブラートに包んでくれないかなぁ。
わたしが少し神経質すぎるのでしょうか? でも、この名称が全国一般の名称になるのは嫌じゃぁ!
←ね。ちょっと入っていくのに抵抗あるでしょ?(無関係の人が入り口から先を覗くのも勇気が要るでしょ?タブーのような・・・)
結局、抗ガン剤治療を続けたのですが効果は殆どありませんでした。
その後、腫瘍は奇跡的に非常に緩慢な動きを見せ「急を要する治療の必要なし」と言う何とも納得しがたい診断でした。



この頃から「何か」を残したいと言う衝動に駆られブログを始めました。
ただ漠然と、何のテーマも持たずシャッターを切り、タイミング良く写し取れたモノにその時思いついた言葉を載せる。
これが何の意味も持たない事は解っているのですが、悶々と時間を過ごすより遥かに楽しい時間を私に提供してくれました。
ま、言ってみれば自己満足以外の何者でもないのですが、生きる張りみたいな・・・w

何の治療もないままに数ヶ月の間、痛み止めの薬を服用するだけの日々を過ごしました。
当然「要経過観察」の身ですが・・・。
そして3度目の全身検査の結果を聞きに主治医の元へ・・・。
緩慢ながらも次第に大きさを増すガン細胞に、手ぐすね引いて黙っている事は無いと治療を再開することに・・・。
手段も限られてきているので、そろそろ「あいつ」の出番か・・・、と思いました。

「あいつ」とは・・・。
悪名?高き「ゲフィチニブ」(イレッサ)という薬です。
肺ガンに対する「夢の特効薬」と言われた経口薬です。
毎日一錠飲めば劇的に腫瘍の縮小が望める。信じられないような効果がある薬でした。
その実、非常に重篤な副作用も裏に潜んでいます。(間質性肺炎)
望める効果に対しても条件が付いていて・・・
「非喫煙者に非常に有効である」・「東洋人に有効である」・「女性に有効である」
後なんだっけ・・・・?
新聞等、マスコミを騒がせた薬なのでご存じの方も多いと思いますが、副作用で何人もの方が亡くなっている薬です。
(今ではガイドラインがしっかり出来て、当時ほど亡くなる方はいらっしゃらないとか・・・)

ま、とにかく試すだけ試してみようと言うことになりまして、服用開始。半分博打ですw
一錠¥8,000程する高価な薬。効いてくれないと破産ですw (毎日飲むのですから冗談抜きでw)
約一ヶ月半、飲み続けましたが喫煙キャリアの私には効果が出ませんでした。
残ったのは酷い副作用と破産を免れた証拠の領収書だけ・・・。
不幸中の幸いは、最悪の副作用「間質性肺炎」が出なかったこと。
このブログの更新が滞り始めた6月はその頃の事です。
完全に無気力・・・。
外に出る元気など一切無しでした。

その後の治療方針を相談している間のCT画像に変異が出たのもその頃。
話を聞くまでもなく解っていたのですが、「骨転移」でした。
横になって寝ることが出来なくなっていたので、腰か背骨の何処かの異常を疑っていました。
痛みが酷く、座って居眠りをする(机などに突っ伏してうたた寝)程度の睡眠しか取ることが出来ませんでした。
睡眠を十分に取ることが出来ないと言う辛さは想像以上でした。
眠りたいのに横になると痛くて目が醒める・・・。辛かった・・・。

12番目の脊椎に浸潤を開始したガン細胞は骨髄の手前まで迫っていました。
骨髄にガン細胞が触れるとどういう事になるのかは容易に解りましたので敢えて聞きませんでした。
「しりもち付いたら終わりだよ・・・」医師から脅されてビクビクとしていました。
D2Hsが非常に重い機材だと認識したこともこの頃・・・。ショルダーバッグを避け患部より下に荷重が掛かるウエストバッグに触手が動きます。
この病変が画像で認識できるまでの間も約三ヶ月でした。(もう少し検査間隔を詰めても良いかも知れませんね)
ベッドの空き待ちを経て再々入院。
即治療の開始でした。

治療というよりまずは痛みのコントロールに重点を置いた処置でした。
以前より処方されていた痛み止め、経口の「麻薬」の量を増量してみましたが効果が出ません。
次に、身体に貼り付ける(72時間貼り続け、皮膚より緩やかに成分を吸収する)タイプの「麻薬」を処方されました。
これは良い感じ。
一晩中聞こえていた大部屋のイビキが聞こえなくなる瞬間があるのです。
「ん?寝ていたか? 俺は今、寝ていたのか?」

投与量を調整、他の薬も併用し血中濃度が安定した頃、横になって寝ることが出来るようになりました。
寝るという事がこんなに嬉しいことだなんて、多分この病気にならなければ一生知ることはなかったでしょう。
しかし、一ヶ月ほど横になれなかったツケが足の浮腫み(むくみ)となって出ました。
つっかけのサンダルが履けないんですw
足の指が入る程度で、殆どがサンダルからはみ出てしまうほど浮腫んでました。

横になれないだけが原因ではなく、抗ガン剤で痛めつけられた腎臓が悲鳴を上げた証拠でもあります。
尿の排泄が上手くできない身体になりました。
これは結構致命的でありまして・・・
何故かというと、抗ガン剤の有力処の殆どが腎臓で最終的に処理されるのですが、その腎臓が機能を果たさないと「毒」である抗ガン剤が尿と共に排泄されず身体に溜まり続けるからなのです。
幸い二つある腎臓の内、一つは辛うじて機能してくれているようで腎不全は免れました。
しかし、異常な数値をたたき出すには十分過ぎるほど壊れている腎臓にこれ以上の鞭は打てないと・・・。
治療を続けるには一度、人工透析をする必要があると言うのです。

どんどん大事になっていく中、何処か他人事のような感覚で私は頷いていました。
見たことのない様な機械に囲まれて人工透析が始まりました。
受けた結果、血液データは正常値に戻すことが出来ました。
でも、二度と透析は受けたくないと・・・。
腎不全で苦労されている方達は本当に凄いと思いました。大変なんてモンじゃないです。
個人差はあるのでしょうが、透析を受けた夜は一晩中吐き続けました。
苦しいかった・・・。
腎不全の方は毎週3・4回、時間にして1回4~5時間機械に繋がれるそうです。生きるために・・・。

命を粗末にあつかう奴らに見せてやりたい!
簡単に命を語る奴に命の輝きを見せてやりたい!

ま、そんなこんなで治療の始められる身体の完成。
期待の放射線は被爆量がほぼ限界に達し「これ以上の照射は・・・」と医師も技師も悩んでいました。
それでも何とかギリギリに照射計画を立てていただき、化学療法と併せて治療開始。
気持ちの中では、治すより痛みのコントロールに重点を置いていただければそれで満足でした。
痛みの中で何も解らなくなるのだけは嫌だと思っていますので、それが避けられただけで十分でした。

約二ヶ月半の治療で副腎の増大は認められず。
脊椎の浸潤も拡大は認められず。
その他、臓器・骨・脳に転移無し。
奇跡がまた私に時間を少しだけ与えてくれたようです。
無事に退院。現在に至ります。

現在も週に一回、化学療法の治療を受診してます。
多分、他の異常が見つからない限り継続治療になるはずです。
画像上、肝臓が少し腫れてきている様子が見て取れるそうで、要経過観察です。
痛みもある程度は鎮痛薬でコントロール出来ていますが、その他の薬の種類も多く、弱った臓器達が何処まで踏ん張ってくれるかどうか・・・。

色々な人(医師・看護師・両親・友人など)の尽力でここまで来られたことに感謝しています。
特に、隣のベッドで同じ病気を戦った戦友の存在は大きかった。
今は遠く北の大地で戦い続けている戦友よ。
あなたにどれだけ励まされた事か・・・。離れてはいるけれどいつも当時と同じ気持ちで戦っていますよ。
約束通り、一緒に大沼の写真撮影に出掛けられるように祈ってるから・・・負けないで!(Nikon vs Canonの勝負ですからねw)

正直、今回の入院は自分的に色んな意味で諦めていたところが多く、今こうしてブログを更新していること自体が自分的に奇跡なのです。

NikonがFXフォーマットを世に出したこと。
お正月を迎えられたこと。
冬らしい寒さに震えること。
D40を買ったこと。

今が全部奇跡みたいなモンです。

次なる奇跡は、北京五輪で白レンズに対抗するほど黒レンズが多くTV画面に映るのを見て、意味もなくニヤニヤする自分に気がつくことですかね・・・

友人達へ
明日の予定すら立てられない情けない奴で済まない。
見捨てずに声を掛けてやってくれ。頼む。
声が掛かるだけで嬉しいんだ。

疎遠にしてしまった方々へ
本意では無いにしろ酷い態度を取ったこと、謝罪します。
すみませんでした。
お元気で過ごされることをこれからも祈り続けてます。

ブログへお越し下さる皆さんへ
更新間隔が長くなりコメントにも音信不通になっているときは寛大な気持ちでお待ち下さい。
ちょっと凹んでいる時ですから・・・。
数ヶ月待っていただければ何食わぬ顔で戻って参ります。

皆々様へ
そして一年ほど更新がなかったら、その時は察してやってください。
きっと、もう少し広めなロケーションでパシパシ連射で写真撮っていますんで・・・。

最後までダラダラの駄文にお付き合い下さり、ありがとうございました。
健康は金では買えません。当たり前過ぎて笑っちゃいますが、事実です。
気付いた時に最善の処置をされれば酷いことにはならないと思いますので、身体から何らかのサインが出たと感じたら直ちに然るべき検査を受けることを強く奨めます。
タバコも出来たら止めましょうw (どうせ肩身が狭く最近は旨くないでしょ?煙草・・・)

人は「おぎゃー」と生まれた時から「死」に向かって例外なく進んでいきます。
どのように時間を使うのも勝手なのですが、どうせなら豊かな人生(時)を過ごしましょうよ。
沢山失敗しても良いんです。沢山恥をかいて良いんです。沢山の人と出会って沢山吸収してください。
知ることが沢山あると思います。きっと。
だから自ら病気を迎える様な愚かな時間を費やす人生だけは避けてください。
愚痴っていても、笑っていても同じ時間を費やすのですから、笑ってた方が何か得ですよねw
その辺でとても後悔している人間がここに居ますんで・・・。参考にしてくださいw

沢山の幸せがここを訪れた人たちに降り注ぐように祈り止みません。
目指せ!2周年!で私はゆるーくいきます。
これからも「Jin's Life」をよろしくです。

じんじこじん。

by jinjikojin | 2008-01-27 02:40


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